大阪からの熊野街道 其の2 住吉大社~大和川~仁徳稜~大鳥大社

大鳥大社 大阪からの熊野古道

5月4日(土) 約13.4km余

大鳥に車を置いて、JR阪和線で三国ケ丘駅へ。
そこで南海高野線に乗り替え「沢ノ町駅」に到着。
急行が多くて普通電車に乗るのは大変でした。

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沢ノ町駅

①歩きおえる予定の大鳥に車を置いて電車を乗り継ぎ、住吉大社近くの南海高野線「沢ノ町駅」へ。ここからスタート。

古い家並み

②この街道にもこんな古い家が残っている。
壁面の銅版は緑に錆び、立派なウダツがあがり、何よりも今住まわれているのに感嘆。

清閑な街並み

③狭い清閑な街並みを歩く。ここは車が少なく歩きやすい。

農神社

④清閑な街道にたたずむ「農神社」。
ここらの地名は「遠里小野」と書いて「おりおの」。読めない難解な名前の町が続くが、読めない地名を考えたり、何でこの名になったのか推理するのも又楽しい歩き方。

大和川

⑤歩き続けてとうとう大和川。ここまでが大阪市。ここを渡ると堺市。
この川はドブ川として有名(?)だったが、今はかなり改善されているように見え釣り人も見かける。昔人はどのようにして渡ったのだろうか?

堤防の祠のお地蔵さん

⑥堤防の祠のお地蔵さんに、このおじいチャンが熱心に祈り・真言を唱えられていた。何か感動!!!
明治初期堤が決壊しておびただしい被害が出たそうです。そのための供養お地蔵さま。

大阪刑務所

⑦堺市の大きな通りを歩くと、突然バカ高い塀が・・・。西日本最大の「大阪刑務所」。ここへは入らないようにしなくては!!!
後ろの高層ビルは高速道路から良く見るマンション。

「境王子」の碑

⑧今日2つ目の王子社跡だが、最初の津守王子跡は何も無く、ここが初めての王子社跡「境王子」の碑。町として整備されているので現存する王子社は無いようだ。

方違神社

⑨JR堺市駅から海方向の大通りを渡ると「方違 (ほうちがい) 神社」。旅立ちや引っ越し等の時、ここで運気の上がる方向へと変更してくださるご利益の神社です。
そういえば、以前偶然来たことがある。

狭い路地に見事な屋敷

⑩狭い路地は何故かホッとする。車の侵入がないからだろう。見事な屋敷に見とれるが、堺市にはここまでの熊野街道の標識は皆無。迷い易いのでご用心。

反正天皇陵

⑪狭い路地に「反正(はんぜい)天皇陵」。どんな人か分からず携帯でググる。16代仁徳天皇の第3皇子で18代天皇と有る。皇位争いで兄弟相い争ってどうも血なまぐさいようです。そもそも仁徳天皇さえ良く理解していないのにネー。

熊野街道の標識

⑫ここからようやく道に埋められた標識らしき物が有るが、これに頼ると間違いなく路に迷う。迷い続けてようやく数少ない標識に出会う。堺市は熊野街道には関心が薄いようです(失言かも)。当たってなかったら御免なさい。

大仙陵古墳

⑬「仁徳天皇陵」に到着と思いきや、今は「大仙陵古墳」だとか。私たち昔の人間は「仁徳天皇陵」と習ったのに・・・。これも分からないのでググったら、16代仁徳天皇か17代履中天皇の陵か不明な為とか???宮内庁管理で発掘出来ないらしいですね。
標識の写真では見えづらいけど「←正面まで2200m →正面まで850m」と記してます。一周3050m、さすが世界三大墳墓の最大の古墳ではあります。
ところで次の疑問が・・・「仁徳天皇とは」&「大仙」の意味は???又調べなくては !

サポーターの岡本さん

⑭うちのメンバーの中には奇特な人がおられまして、歩かないのに研修の度車でサポートしてくれる「某岡本」さん。山から下りると冷たいおしぼりやコーヒーを用意してくれていて、大変助かっています。車に積んだアイスクーラーは「ドラエモンのポケット」。今回は予想だにしなかったまさかの「スイカ」でした。 甘くて水分が有り、疲れた体には超嬉しかったです。いつも有難うございます。

御陵通りを迂回

⑮「仁徳天皇陵」から海側へ西に折れて、広い御稜通をわざわざ2km弱迂回。熊野古道等街道は、なるべく楽な道を早く着けるように出来ているので不自然さを感じる。
熊野街道だけでは無い、堺市の観光ルート寄り道の思惑か?(勘違いだったら堺市さん御免なさい)

南宗寺

⑯ここへ立ち寄らせたかったのですね。「南宋寺(なんしゅうじ)」
以前堺市の観光ボランティアの方の案内してもらったのですが、なかなか変わったいきさつの有るお寺です。お寺と神社が同居しているし 瓦を埋め込んだ塀にも特徴が。

千利休のお墓

⑰南宗寺はいわく有る人達が係わっていて、特に沢庵和尚が住職だったり、千利休が修業したり、古田織部が作った庭とか、徳川家康がここで戦死していたとか、歴史好きには眉唾とともに興味を引かれる。これは千利休のお墓。

徳川家康の墓?

⑱特に面白いのは徳川家康の墓?
面白過ぎるので、以下は南宗寺のホームページよりの抜粋。

「大坂夏の陣の時、真田幸村の奇襲を受けて輿にのって逃げ出した家康。しかし大坂方の猛将・後藤又兵衛は怪しいと睨んで槍でついた。家康はそのまま南宗寺で絶命。しかし死去はふせられ、家康の影武者が活躍。家康の遺体はひそかに日光東照宮へ運ばれ葬られたという」こんな伝説がまことしやかにささやかれる南宗寺。二代将軍・秀忠、三代将軍・家光が相次いで寺を参詣したのも、実は家康の死が起因しているとの説が伝えられています。
それを裏付けるように、境内には徳川家康の墓があり、瓦には徳川家の「葵」の紋が。歴史の意外なミステリーに興味をそそられます。

南宗寺のホームページより
都市部の熊野街道

⑲南宗寺でガイドをして貰い、また大通りを斜め南に向かい大鳥を目指す。かなりの回り道だった。今回はやはり都市部を歩くのでこんな景色が多かった。(写真左側:石津神社)
舗装路を12km位歩いたのでもう興味が湧かず、トイレがあるかどうかだけ確認するも、使えるトイレは無い。
都市部の熊野街道には、公園や神社仏閣では参拝客が特に多い所を除いては、トイレは無いと思った方が間違いはないようです。但し個人歩きの時は、コンビニ利用です。

大鳥大社

⑳ようやく今日の目的地「大鳥大社」に到着。
敷地は広大で「日本武尊」(やまとたけるのみこと)を祀る。日本武尊の名前は伝説的に有名だが、何をした人か実は良く知らない。父・景行天皇の命で九州・東国を征討し、伊吹の神と対決するも病を得て伊勢で亡くなる。その魂が白鳥となり大和を目指した→大鳥へ舞い降り→「大鳥神社」とか。
日本武尊の子=仲哀天皇→その子=応神天皇(八幡様)→その子=仁徳天皇と続くので、近くの仁徳天皇陵との関連性も有るのでしょうか?

ようやく「其の2」 13.4kmを歩き終えました。
王子社や熊野との結びつきは余り感じられなかったけど、ここが熊野街道の都市部だと興味を引かれた所は沢山有りました。
古代や近代に登場する歴史上の人物群等はマダマダ勉強しなくてはなりません。反省の1日でもありました。

山歩きでは痛めない部位が痛い!!!早く回復させなくては・・・。
次回「其の3」は もうすぐ8日(日)だから。

次は、大鳥神社(堺市)~和泉市~久米田(岸和田市)を目指します。
(14.2km 約5時間30分)

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