山中渓(阪南市)~境橋(ここから和歌山市)~雄ノ山峠~川辺橋(紀の川を越す)~旧中筋(なかすじ)家住宅
5月22日(日)、約16㎞、5時間40分、7名+サポーター1名
いよいよ和歌山県に入り、いわゆる「紀伊路」となります。
今回も某森本ウェブサイト管理人が不参加のため、山本泰司(本名)が手短に紹介します。
①軒下のトーマス君たちに見送られて山中宿(やまなかじゅく)を8時15分出発。ユーモラスで幸先が良いネ。
②山中宿の南はずれにある道祖神
塞之神(さえのかみ)を兼ねていて、南の方(紀州)から悪霊や疫病が侵入してくるのを防ぐとともに、旅人の道中安全を守り続けてきたという。
③境川と境橋
ここから紀州に入る。日本最後の仇討ち場と葛城修験の行場がある。真上には阪和高速。残念ながら境川は濁っていて、とても水垢離をする気にはなれない。
④古民家の明り取り
まるで時代劇の世界にタイムスリップしたみたい。この窓の向こうにはきっとかぐわしい・・・
あ~、厠か。
⑤ごくろうさまです。おかげで気持ち良く歩く事ができます。
⑥雄ノ山峠越えの県道脇では、ちょうどウツギが満開。ほかにテイカカズラ・スイカズラ・ガマズミ?(ヤブデマリ?)など、白花の木が目立つ。
⑦雄ノ山峠からだいぶ下ったところ。急ピッチで建設中の京奈和自動車道が目の前。橋桁は大丈夫?それに、中央構造線がすぐ近くを並行してるし・・・橋脚1本何億するのでしょう?
⑧山口王子跡
紀伊路に入って初めて押印所が登場。押印帳も置いてくれていたので記念に押してみた。でも、いきなり逆さまに押してしまった!(「熊野古道紀伊路押印帳」:山口王子から中辺路の稲葉根王子までの主要な王子・神社・寺など21箇所)
⑨ 車の多い県道7号粉河・加太線を1.4㎞も西へ。歩道がないので冷や冷やもの。二度と通りたくない道だけど、私は二度目。古代の「南海道」はここを通っていたとか。
⑩ 力侍(りきし)神社の休憩所で昼食後、長い参道を入口までもどる。
⑪ 川辺(かわなべ)橋を渡り、紀の川の南へ。紀の川は幅が広い。
⑫ 最後に、旧中筋家住宅(国指定重文)に立ち寄る。紀の川筋随一の規模を誇る大庄屋の建物。和歌山市が10年かけて修理し、2010年から一般公開している。(3~11月の土日祝のみ。一般100円)
(本名)
今回は布施屋(ほしや)駅までの予定でしたが、時間に余裕があったので、あと2㎞ほど旧中筋家住宅まで足を伸ばしました。
熊野古道は本来、できるだけ直線的に進むルートなのですが、ウォーキングマップでは、和歌山平野に入ると紀の川の南北で不自然に迂回するようなコース設定になっていて、何だか相当遠回りしている感じになります。これは、長い歴史の中で紀の川の流路が変わり、渡し場の位置も時代とともに移ったことと、それに伴い王子の跡地についてもいくつかの説があることに関係しているようです。
今のマップは、有力な説となっている王子の跡地を時代を無視して順番につないでみたらこんなふうになってしまった、というところでしょうか。それにしても、交通量が多く、歩道のない県道7号線を1.4㎞も歩かされるのは安全上どうなんでしょうかね。
今回も、某岡本氏のありがたいサポートを受けました。途中、車のエンジンがかからなくなるというハプニングがありましたが、これも何とか切り抜け、ほとんどロスなくサポートしていただきました。
力侍神社と中筋家住宅見学後での冷たいおしぼり、ジュース、甘夏、キウイなどの出前サービス、(たとえ見学サイトを忘れることがあっても)決して忘れません!
次回は 29日 藤代まで。